日記・詩

大事なものがない人間

信号が青になった事に、30秒以上も気付かぬスマホ中毒者。
当たり前の事を蔑ろにしてまで必要な事なのか、それ?

まるで別物

最近、ストレートのリンゴジュースを買ってみたのだが……これ、かなり美味いな……!
濃縮還元のものとは別物だ。しっかし、値段が高いなぁ~!(笑) 1本、700円超えだぜ?(まぁ、また買うけどさw)

底上げ

スーパーで惣菜を買ったら……何と、容器が底上げされていた!
こういう事をされると、萎えるよね……。(味に関しては、しっかりと美味しかった)

無題

打算で選んだ関係に絆はないだろう。

久し振りに「無双7」

最近、全くゲームで遊べていないな~と思ったので、今日は「無双7」で3戦だけ遊ぶ事にした。
何せ、久し振りに遊んだものだから、普段以上に面白く感じたな。
腕が鈍っているだろうな~と思っていたけれど、そこまで鈍っていなかったので安心した。
まぁ、これの動画も投稿し直さないといけないな~とずっと思っているから、いずれはやるつもりではあるんだけど、いかんせん、順番的に今すぐには出来んのよね……。(少なくとも、『らせんの宿』の動画投稿を全て終わらせてからでないと)
ちなみに、全無双武将の武器属性の見直しは既に済ませてあるから、もう以前のようにその部分で時間を取られるという事はなく、「後はやるだけ」の状態にしてある。

不便な方が良い

どんな物事であろうとも、不便であれば不便である程に良い……とまでは流石に思わないけど、何でもかんでも便利にならない方がよいとは思っている。(流石に、川に洗濯に行くのは大変過ぎるからねw)
不便であるからこそ頭を使うし、不便であるからこそ最低限の忍耐力も培われる。そして何より、不便であるからこそ工夫をする。この工夫をする事こそが「遊び」なんだと、少なくとも自分はそう思っている。
その遊びが技術の進歩によって狩られてしまうと、遊びの幅が狭まってしまうという事。(画一化によって削ぎ落とされたこの幅の中に「個性」というものが含まれている)
例えるなら、2000年頃のホムペには主の趣味趣向が反映をされていたものが多く存在をしていて、それは何だかよく分からないごちゃごちゃとしたものであった。だけど、そうであったからこそ良かった。
そのごちゃごちゃをなくしてしまったものがSNSだなと、そう思う。そのごちゃごちゃが分離されてしまってバラバラの部品になっただけだとも言えるけど。
今のSNSは、ヴィレヴァンみたいなものだと思う。昔はよく分からない物が置いてあってごちゃごちゃとしていてそれが良かったのに、今は誰もが奇妙に思わないような物ばかりが置かれてしまっている。(ヴィレヴァンの場合は企業だから、客にすり寄る必要がある。だから、例えとして用いるのも少し違う事ではあるんだけど)
何にせよ、便利になったり整備をされてしまうと、そこには遊び(個性)がなくなってしまう。少なくとも、制限が掛かってしまう。そしてその都度、人類が人間らしさを失っていっているように思えてならない。

【余談】
このまま便利化と整備が進んでゆき、未来の人類が労働をしなくて済むようになったとしよう。(別の理由でそんな事にはならないのだが、これは一種の空想話)
その結果、一部の人類が労働ごっこをやり始めると思うんだよなぁ……。もちろん、娯楽として。(刺激の少ない天界に居ると、退屈で脳が溶けちまうからな……)
労働からの解放を目指した人類が、その労働をなくした事によってごっこ遊びの労働をする事になるという、何とも滑稽な絵が俺の頭の中に浮かぶ。
結局そうなるなら、便利にし過ぎなくていいじゃんと思うのだが、そうは言っても人類はそっちの方向に進んでゆくのだろう。
まぁ、少なくとも俺が生きている間にそのような時代になる事はないな。毎日が休日、そんな時代を過ごしてみたいものだ。(笑)

空気という名の米、共感という名のおかず

日本人の主食は、未だに「空気」なんだろうと、連中を見ているとそうとしか思えない。
そして、おかずは「共感」。
それで腹が膨れる不思議な連中。

ただただ、悲しい

昔に好きだった作品の数々を思い出しているうちに、何だか悲しい気持ちになってきた。
それだけの歳月が過ぎてしまったのだ、と。ただただ、それが悲しく思えてきて、それと同時に当時抱いていた様々な感情も思い出される。
まぁ、これが「生きてゆく」という事だよな……。

シーソーゲーム

Aという差別をなくす為に、新たにBという差別(逆差別)を作るのが人類。
AがBになり、BがAになっただけなのだから、本質的には何も変わっちゃいない。
そして、多くの人間がその茶番に巻き込まれる。これを延々と繰り返すのが人類。
何も進歩などしておらず、変わってゆくのは法やシステムだけ。

無題

数年前に『琥珀の夏』を読んだ時の話。
結論を言うと、非常に退屈な作品だった。(本当に、感動をするような部分がなかった)
まぁ、途中まではそうでもなかったのだが、「私がミカよ」の瞬間以降が退屈極まりなかった。自分としては、ミカには死んでいて欲しかった。
とはいえ、女性の作家が女性の読者に向けて書いたものに対してあれこれと言うのも見当違いの行為である。
女性向け作品にありがちな「日常のどうでもいいような場面(それ分かる分かる~的な場面)の挿入」だとか、「結局答えを出さない感じ(誰も悪くない的な感じ)」だとか、そういうのがあるものを読んでいる訳だから。
だけど、「小学生なのにそこまで考えが及ぶのか?」みたいな心理描写も散見され、そういうのも気になって仕方がなかったという事は言及をしておきたい。

ルポ系の作品について思う事

今朝(というか、もう昼の2時半だが)、目覚めた瞬間に頭の中に『闇金ウシジマくん』(原作)の事が思い浮かんだ。そして、その瞬間から本日の連想ゲームが開始された。

自分は、昔からルポ系の作品を好きになれない。
……と言いつつ、『闇金ウシジマくん』に関しては一応読む事が出来た。(まぁ、約20年前の話だけどね)
しかし、最終巻までは読んでいないし、これを作品として収集しようとも思わない。
何故、自分がルポ系の作品を好きになれないのか、その理由は「それ、作品の形を取らなくても成立するじゃん」と思ってしまうから。だって、事実という名の輪郭を強調しようとすればする程に独創性からは遠退いてゆく訳で、故にルポ系の作品自体が大きな自己矛盾を抱えてしまっている。これが何とも気持ち悪いのよね。
ルポ系の著者にそんなつもりはないのかも知れないが、ルポ系の作品を作る事が一種の保険としての側面を持っている以上、受け手としてはそれを著者の言い訳として感じられない事もない。
どういう事かと言うと、「これは事実に基づいて(事実を参考資料として)作られているのだから、仕方がないよね」と、どうとでも言えてしまうという事だ。

更に、身近に居る衆愚(ミーハー)がルポ作品を読んでいる場合、「君も○○を読んだ方がいい」などと言ってくるような始末にも辟易とさせられる。どの口がそれを言うのだ? という怒りも湧いてくる。(かつて、このミーハーの馬鹿共の口から『アルジャーノンに花束を』や『女の一生』や『甲賀忍法帖』や『車輪の下』や『ライ麦畑でつかまえて』や『読書について』といった傑作の名を聞いた事があっただろうか)

つまり、衆愚は常に流行に身を委ねた生き方をしているから何も考えない。例えるなら、わざわざインドに行かないと日常(目の前)にある物事を理解する事が出来ないような連中だという事。(「空の青さは、どこに行っても同じなのだ」という事を知る為に、世界を巡ってみる必要はない
問題Aは常にそこに在り続けていたのに、お前が何も考えない人間だから今までそれに気付けなかっただけだよ、と。(初めて玩具を買い与えてもらった子供のように目を輝かせてはしゃぐなよ、と)

閑話休題

まぁ、実際にはルポ系の作品がある事でより多くの人間に情報が行き渡るという事実があるから、それをなくせとまでは思っていないけど。(それをやってしまうと、恐らく、社会の状態がもっと酷いものになるだろうから)
とはいえ、結局は他の物事と同様に一瞬の流行で終わるという事もまた事実。
つまり、5年後や10年後には、もう衝撃的には感じないものになっているというだけの事で、問題Aが解決をされてこの世からなくなったという話じゃないからね。(単に、人々がその話題に慣れたというだけの事)
「目覚めた人間」が、5年後も10年後も熱量を保っているケースは非常に稀だろう。例えば、約20年前に鬱病の2文字がメディアで頻繁に取り上げられていたが、今、当時ほどの熱量をメディアも人々も持っているだろうか? 今その言葉を聞いたとしても、「精神の風邪」や「薬を飲めばすぐに治るんでしょ?」という風にしか理解をしていない連中ばかりであろう。
それは何故か? 一度、この言葉や概念が「流行」をしたからだよ。(もうその味には飽きた、と)
つまり、流行ったものを「言葉や情報として消費」した瞬間、衆愚はその物事を頭の中から消すのだ。まるで、遊び終わったゲームソフトをアンインストールするかのように。(物事の当事者ではないからこその「消費行為」。分かったつもりになったところで、結局のところは「他人事」という認識なんだよ)
但し、部外者であっても本気になった人間の事は除く。だけど、そんな人間は全体の1%にも満たないだろう。
だから、(絶対とは言わないけど)ルポで社会を大きく揺るがすというのは困難な話。例えば、旧・ジャニーズ事務所にあった性加害問題がそのよい例だと言える。結局、あれを解体させるに至った根本的な原因は、BBCが件の問題を取り上げた事だから。
つまり、本質的には外圧がこの問題を解決させたのであって、数十年前からこの問題を認識していた日本国民が解決をさせた訳ではないという事。(実に日本らしいな)
しかし、数十年前から告発があったからこそ、最終的にはそれを瓦解させる事が出来たとも言える。そういう意味では、ルポ系の作品でも無意味なものではないと言える。

寝付き

自宅だと、寝付くまでに1~2時間かかる。しかし、職場だとすぐに眠れる。(寝付くまでに10分も掛からない。いや、5分以内かもw 一体、この差は何だ?)
なので、毎日毎日1~2時間も時間をムダにしている。毎日、この時間があればな~と思う。

ホムペの名前

今日、ホムペの名前を変えた。
「過ぎ去りし思い出」から「見えるんだけど、見えないもの」に。
でも、他にも気に入ってる候補がいくつかあるんよね。
例えば、「世界に従うか。自分に従うか。」とか。

花粉

昨日今日と、少し目が痒くなったし、少しムズムズするんだよなぁ……。
花粉情報を調べてみると飛散率はまだ0%なんだけど、多分、自分の身体の反応の方が正確だと思うわ。(毎年そうなんだよ)
そういう訳で、俺の予想だと2月の10日頃に花粉の飛散がしっかりと始まってゆくと見た。
あぁ、鼻炎薬を買っておかないとな……。

充足

最近、私生活が充足をしていると感じる。(ホムペ作り)
自分の心の奥底に沈んでしまった昔の気持ちが思い出されて、何だか心が温まってゆくような感覚を覚える。

赤面

『Flowin' 浮雲』→「遙時」→少女向け作品→主題歌→実際に買ったCD→『I Love You(The★Scanty)』
当時、まだ学生だった俺は、このCDを買うのに相当な勇気が必要だった……。(神よ、我に力を与えたまえ……)
何故なら、CDのジャケットに「女児向けの絵」がデカデカと描かれていたから……。
そして約1週間後、なけなしのお金とちっぽけな勇気と大きな不安をポケットに詰め込んで、CDショップへと向かった。
まずは敵情視察。敵(店員)は男か? それとも女か?(どっちであっても恥ずかしい)
女かっ!!! しかし、こういう事は思い切りが肝心なのだ。悩んでいると、悩みがもっと深まり、最終的に身動きが取れなくなってしまう。え~い、ままよ!!!
店員「お会計は千円になりま~す」
俺「……はい。(とっとと会計を済ませて店を出よう! ちくしょう、1秒が長く感じるし、何だか顔が熱い……)」
店員「ありがとやんした~」
こうして、俺は戦いに勝ったのだった……! しかしまぁ、あの時の店員は俺の事をどう思っていたんだろうな。絵面だけで見れば、「若い変態が少女アニメのCDを買いに来た」と映っていたかも知れない……。
まぁ、今となってはどうでもいい事なんだけど、当時の俺にとってはとても恥ずかしい事だったのだ。(絶対に友人に見付かる訳にもいかないしな)
何はともあれ、CDのジャケットって大事だね。(笑)

【余談】
『満月(フルムーン)をさがして』のアニメは本当に面白い!(いつか、原作の方も読む気ではある)
結局、当時は視聴をしていなかったんだけど、約10年前に視聴をしたらボロ泣きした。
小学生向けに作られた作品かと思いきや、何と、大人でも楽しめる作品であった。(俺の中では評価S。どんなに低く見積もってもA。傑作

連想ゲーム

『サイレント・イヴ』を聴いていたら、何故だか急に『Flowin' 浮雲』が脳内で電気信号として流れた。何故『Flowin' 浮雲』と記憶が連動をしたのか、それは分からないけど。
この曲は、当時深夜アニメを視聴している時にCMで流れていたんだけど、その時は曲名が分からなかったんだよね。(当時、本当に欲しかった曲)
最終的には、約10年前に曲を探してCDを買ったんだけどさ。
……うん、やっぱり繋がらないな。だって、『サイレント・イヴ』との共通点がないんだもん。(笑)
それにしても、『Flowin' 浮雲』を何度も聴いていると、何だか「Speed」っぽい事に気が付いた。(『White Love』とか『Steady』辺り)
こうやって、1つの事(『サイレント・イヴ』)から様々な記憶が蘇り、連想ゲームみたいな事が始まるのが俺の日常。

無題

何の脈絡もなく、急に頭の中に歌詞が木霊する。
「さよならを決めた事は、決してあなたの為じゃない……」
辛島美登里の『サイレント・イヴ』だね。(敬称略)
こういうのって、無意識下で遥か昔の記憶が暴走をしとるんかな? と思ってしまう。
だって、今の俺の生活に関連をする部分が歌詞のどこにもないからね。
何にせよ、良い曲だよね。

幸運

危うく職場が火事になるかも知れなかった……。
もし俺が寝坊をしていたらそうなっていたかも知れないし、それとは関係なしに別の出来事が重なっていたらと思うと、危なかったな。
様々な出来事が運悪く重ならなくて、本当に良かったわ。

無題

鏡は事実を映す。

無題

顔も名前も知らぬ「誰か」とやらを傷付けないように細心の注意を払っている者は、実は優しい人間なのではなく、自身が非難をされたくないだけなのだ。
99人ののっぺらぼうと手を繋ぐ事に喜びを覚える人間はそのように振る舞えばよいが、特別な1人を欲する人間は自らの口を閉ざすべきではないだろう。
全ての物事には、始まりがあるのだから……。

意思

意思のない者は、まず見渡す。周囲に他人が居るかどうかを。そして、その他人が自分の事を監視しているかどうかを確認する。それから全ての行動を決める。でなきゃ、何も決められない。
それは最早、傀儡(かいらい)他人にとっての操り人形

個性

個性とは、刃であり棘である。
やすりで刃を削り、ペンチで棘をへし折れば、顔も名前も知らぬ「誰か」とやらを傷付けてしまう事はないだろう。

無題

命というものは、燃え尽きる瞬間に最も輝く。
まるで、線香花火のよう。

無題

耳障りのよい言葉は黄色信号。

無題

真実は苦い薬であり、嘘は甘い菓子。
そして、多くの人間は薬を嫌い、菓子を好む。

無題

真実は苦く、嘘は甘い。

無題

恥ずかしいと思っている物事には価値がある。

郷愁

こうしてホームページの事を考えていると、昔の気持ちを思い出す。
最初に作ったホームページは、約20年前にジェイコムのサービスを使って作ったものだったなぁ。
当時、それを作れるというだけで興奮をしていたような気がする。で、スキャナーで取り込んだ自作の絵なんかをアップロードして、著作権のあるキャラ(例えば、チャッキーとか)もそこに登場させて、好き勝手に紙芝居的なものを作って、それを友人に見せて楽しんだりと、とにかくよう分からん事ばっかりしとったな。(笑)
言わずもがな、流石に今そんな事をやろうとは思わんけどね。(ドット絵でファンアートを作る事はあるかも知れんけど、著作権のあるキャラをネット上で拾ってきてそのまま使うだとか、そういう事はしないという意味)
あれ以来、ずっと思っているのだが、もうあの頃のような実生活とネットのブレンド比率が黄金比になる事はないのだろうなと、そう思っている。これは、自分がそうという話ではなくて「人々が」という話である。明らかに、連中は悪い意味でネット漬けだから。でなきゃ、歩きスマホカス(ながらスマホカス)がこれ程までに世にあふれている事の説明が付かないからな。
ネットってのは菓子みたいなもんで、ずっとやっていればいいってもんではない。ご飯(実生活)を食べずに菓子だけ食っているような人間がどうなるか、こんな簡単な事に対しての説明は要らないだろう。
ま、この話は今度にするとして、今日はスクロールバーの色を変更するぞ~!(多分、スマホの方には適用されない)

文字の変色

ちょうどこのページの文字の事だが、スマホでスクロールをすると文字の色が微妙に変わってしまう。(PCでは同じ現象が起きない)
もっとも、大きく色が変化をする訳じゃないし、スクロール中に限定された話だ。
色々と試してみたけど、どうにもこれを直せなかったので、諦める事にした。まぁ、気付かない人間は気付かないだろうしな。そんな些細な事に、いつまでも時間を費やしていても仕方がない。
もしかすると、「ページのトップに戻るボタン」が悪さをしているかも知れないけど、一応、これはあった方が良いだろうしな、外せないな。

ブルースカイ

最近、ブルースカイを使っていないなと、そう思った。まぁ、このウェブサ……ホームページを作ったから、当然の事っちゃ当然の事なんだけど。
だって、こっちは文字数の制限がないからね。それに加えて、色も変えられるし。
とはいえ、ブルースカイの事は割と気に入っているから、アカウントを削除せずに今後もたまに利用をするつもりではあるけどね。
何と言っても、ブルースカイの良い所は「こんなの(2丁目の山田さんの投稿)があるんですが、どうですか?」と、他人の情報を押し付けてこないところ。それが良い。(故にエックスは騒々しく、故にクソ。流行? 下らない。ちなみに、イーロン・マスクの事は好きでも嫌いでもない)
基本、自分のプロフのページをブックマークに登録しているので、他人の情報が目に入らない。(そもそもの話、むやみやたらに他人の情報をインプットするのは馬鹿と暇人がやる事)
もし他人の情報を知りたいと思ったら、その時に調べればよい。そういう、静かな親切設計を自分は気に入っている。後、割とスッキリとしたデザインも。
将来的にブルースカイの運営事情が変わってエックスのようになってしまった場合、その時は利用をやめるだろうけど。

はかいこうせん

初代のものこそが、自分を満足させてくれる「はかいこうせん」。シュゥゥゥン……ジュビビビビビビビ!!!
「金・銀」のは、ギリギリで許容範囲内ってところ。(「溜め」の演出がないから、軽く感じる)
何で急にこんな事を言い出したのかというと、先日、「昔の『ポケモン』のはかいこうせんって、めちゃくちゃうるさいんだよ!」と驚いていた、とあるゲームプレイヤーを某所で見掛けたから。
「いや、そんな事はないだろう。あれこそが快感を与えてくれる、原点にして頂点のはかいこうせんだろう」と、その時、俺は言いたかったのだ。

無題

まだ腹が痛い。もう3~4日は経つというのに。まぁ、大分良くなってはいるけど。
それと、結局ファビコンはシャチのものに戻す事にした。

とあるゲームの難易度設定について思う事

所詮はネット上での意見の寄せ集めというか、取るに足らないものだと俺は思うけど、一応書いておくか。
まず、結論から言ってどうでもいい。(笑)
ゲームのプレイが苦手な人間は簡単な難易度で遊べばいいし、ゲームに達成感を求める人間は自身で難易度を上げて遊べばいい。
こんなの、ラーメンのトッピングと同じやろと、自分はそう思う。(バターを入れたければ入れればいい。コーンも入れたければ入れればいい。たとえ無料で調味料やニンニクが入れ放題だからといって、誰も彼もが店のそれを限界まで入れるという事はせんやろ)
まぁ、連中の言い分というか、その気持ちが分からんでもないけど、それは言う相手を間違えているだろう。(ユーザーを批判してどうすんだって話)
んで、そもそもの話だけど、企業としてはより多くの人間に商品を買ってもらいたい訳で、そうでないと最終的にその商品が消えてしまう事になるんよね。その観点からも、辛口好みのユーザーが甘口好みのユーザーを批判する事は悪手でしかないと思うけどね。
ちなみに、遊ぶ難易度によって得られないトロフィー(実績の解除)はないらしい。もしこれが用意をされていれば……と言いたいところではあるんだけど、ちょっと待てよ、と。
確かに、トロフィーを得た瞬間って気持ちが良いし達成感も得られる。だけど、これって本来は必須のものではない。現に、昔のゲームにはこんなものはなかったし、そんなものがなくても充分に作品を楽しめていた。
つまり、俺が言いたいのは「トロフィーを得る為にゲームを遊ぶのか?」、それとも「ゲームを遊んだ結果トロフィーを得るのか?」という話。(今回の話にも通じる事だけど、それは、他人の意思によって遊ばされているのか? それとも、自身の意思によって遊んでいるのか? という事)
結局のところ、行き着く答えはただ1つ。己が己の為にゲームを遊べばよい、これに尽きる。
故に、他人なんてものは関係がない。(「世界に従うか。自分に従うか。」)
そして、遊んだ結果面白くないと感じるのであれば、それがその人間にとっての事実なのだから、そのようにその作品の事を評価すればよい。
しかしまぁ、こんなどうでもいい事が話題として取り上げられるなんて、平和だな~と思う。
俺としては、歩きスマホカスとチャリカスの2大害悪の方がよっぽど問題だわ。

曲を流すか否か

特定のページで曲を流すか否かを考え中。(多分、流すかもな~)
個人ホムペと言えば「曲」だよね、と。(ウェブサイトではなく、あえて「ホムペ」と言っている)
そして、やっぱオルゴールでしょ! ……と言いたいところなんだけど、今のところ良いオルゴール曲を見付けられていないんだよね。
もし見付からなかったら、環境音を採用しようかな。

腹痛

めちゃくちゃ腹が痛い……。原因は分かってる。
寒暖差の激しい日が続くと、高確率でこうなるからな……。(いつもの事と言えばいつもの事ではある)
まぁ、大体は季節の変わり目にこうなるんだけど、先日は気温が15度を超える日が続いたからな。それの所為だな。
昨日よりはマシとはいえ、まだ腹が痛い。流石に、明日には治ってもらいたいものだが……。

数年振りかも知れん、モスバーガー

先日のケンタッキーのチキンが微妙な味だったので、その後、不完全燃焼みたいな感じになっていた。
それを払拭すべく、超久し振りにモスバーガーに足を運んだ。
まぁ、大体いつも同じものを注文するんだけど、スパイシーモスバーガー、テリヤキチキンバーガー、チキンナゲット(マスタードソース)、後はその時の気分でって感じ。
今回は、りんごとぶどうの炭酸ジュースを頼む事にした。(氷抜きにしてもらえばよかったと、後で後悔をした)
結果は言うまでもなく、美味いよね。しかしまぁ、値段が高いw 美味いからいいけど、これで約1,700円だもんな。
本当はオニオンフライも食べたかったし、バーガーも後1~2個は食べたかったのだが、流石に1食に3,000円超えはお金を使い過ぎだぞ……という事で、我慢をする事にした。
自分で言うのも何だけど、美味いものなら2~3人前は食べられるから、自分が満足をするまで食べようとすると食費が嵩むんよね、マジで。
後は、あれだな。食べれば食べる程に生き物をムダに殺生した事になるから、仏教的観点から日頃も我慢をするようにしている。

マウスカーソルを自作した

ファビコンを自作するのが面倒なので、無料のそれを漁る事にした。
最初、シャチのファビコンを適用させていたけど、サイトの色としてはゲーム系に偏るだろうなと思い、ゲーム機のファビコンを適用させる事にした。(本当はスーファミのファビコンがよかったんだけど、それが見付からなかったので、ゲームボーイカラーのファビコンを適用させる事にした)
まぁ、いつか自作をするってのもいいかも。
んで、次はマウスカーソルなんだけど……何と、蝉のがない!(あっても、蠅っぽくて嫌だ……)
じゃあ恐竜にしようと思うも、ステゴサウルスのがない! 何か、トカゲのも微妙な感じ。シャチのは悪くない。
おぉ、雪の結晶のはかなり良い! しかし、ANIファイルか~。(最終的にPNGファイルに変換後、保管)
じゃあもういいよという事で、マウスカーソルもゲーム関連のものにする事にした。そして、やっぱりスーファミのコントローラーが見付からないという……。
で、初代ゲームボーイのマウスカーソルを見付けて、それをPNGファイルに変換し、いざ実装をしてみたら、何と、背景色が透過処理をされていないではないか!
結局、無いものは自らで作るしかなく、「Edge2」を使って自作をする事にした。(買っておいて良かった、「Edge2」!)
1回失敗して最初から作り直したけど、何とかゲームボーイカラーのクリアパープルのマウスカーソルを自作する事が出来た!
何でこれを作ったかと言うと、実際に俺が子供の頃に使っていた物だから。(スーファミのコントローラーでも良かったけど)
しかし、後で思ったけど、ファビコンもマウスカーソルも現状はゲームボーイだから、他人からはまるで任天堂の愛好者に見えるだろうな、と。
一応言っておくと、俺は任天堂の愛好者でもなく、ソニーの愛好者でもない。そして、Xboxの愛好者でもない。
つまり、「何のハードがどう」だとか、そういう無意味な考えは俺にはないという事。どれも楽しんだら良い、俺が思うのはそれだけ。
まぁ、今はもうどのハードも所有してないんだけどねw(欲しいとは思っているし、故にいつかは買うと思うけど)
やっぱ、スチームで全てのゲームを遊べる訳じゃないからね。

Zen紅道(Zen Kurenaido)

今まではウェブフォントに興味を持った事がなかったけど、先日、偶然に立ち寄った海外の人間の個人サイトに使われていたフォントに一目惚れをしたので、これを機に自分も取り入れてみる事にした。
それが、このZen紅道(Zen Kurenaido)という訳だ。
後で他のフォントも調べてみたところ、他にも良さげなフォントがあったけど、これが一番かな~という感じ。
ちなみに、(可能性としてはかなり低いだろうけど)将来的にこのフォントを使えなくなったら嫌なので、既にTTFファイルをWOFF2ファイルに変換済み。
これで気兼ねなく、永遠に使えるわ。

文字数の制限からの解放~SNS黎明期を振り返る

やっぱ、つぶやき程度の文字数じゃ足りない訳で……。(書き足りずに、満足できない事があるから)
まぁ、グーグルが提供をしている「ブロガー」のサービスをまた利用するのもありだなとは思ったけれども、やっぱり根っこからいじりたいよねって事で、新たにこのウェブサイトを作る事にした。(自分による自分の為の自分のサイト
以前(1年くらい前)、「note」のサービスを利用していたけども、自分が期待をしていたような人がほとんど居なかったので、最終的にアカウントを削除した。
そんなこんなで、未だに思ってるんだけど、mixiがまだ招待制だった頃のSNSが一番面白かったよねと、本当にそう思う。(後発のグリーとかアメブロも、世に出たばかりの頃は面白かった)
そういや、俺のmixiのアカウント、まだ残ってる可能性があるな……。もうログイン情報を全部忘れちまったから、今更どうしようもないんだけどねw
まぁ、その頃(2004年頃)のインターネットが一番面白かったと、今でも思う。個人ホムペ巡りとか好きで、よくやってたな。(大体が牧歌的で好きだったなぁ。何より、個人の感が好きだったなぁ)
後は、『RPGツクール2000』とか『RPGツクールXP』の無料素材を集める旅をしたり。……で、結局いつの間にかエターナるというところまでがセットw
そういや、その頃は秋葉原がまだ面白い場所でもあったね。良い意味でカオスだったし、街に活気もあった。
街が整備をされて以来、もう行かなくなっちまったけど。(ヨドバシカメラにだけは行く)
昔の事を思い出して、何だか悲しくなってきた……。続きはまたそのうちだな。